2012年7月7日土曜日

孤立化か、それともオリーブの樹か、小沢新党50人の行く末

 民主党内100人超の最大勢力を誇っていた小沢グループだが、2日に離党届けを出したのは結局、衆院38人に参院の12人を加えた50人に止まった。
 この数字の評価は分かれるところだが、小沢氏が民主党合流前に率いた自由党は1997年12月の結党時が66人で2003年9月の解党時には30人になっていた。それからすると歩留まり5割、実数で20人の勢力増である。少なくとも数字の上っ面だけを見れば、小沢氏は焼け太ったことになる。
もっとも離党届け後に衆院小選挙区選出の階猛、辻恵の2議員が記者会見で離党の意志がないことを表明した。階議員は小沢王国と言われる岩手県一区選出だ。また、岩手3区選出の黄川田徹議員は、早い段階から離党を否定していた。ことほど左様、小沢氏の足下がガタガタしているようでは、小沢新党に参加しても先々が不安だろう。
何より離党組には直近の世論調査で小沢新党に期待する人が10パーセント台前半だったことがショックだったのでは。これでは第3極との連携も多くは望めまい。石原慎太郎東京都知事には早々拒絶され、ここにきて蜜月だった河村たかし名古屋市長も「まずは石原さん(東京都知事)、橋下さん(大阪市長)との頑張っていく」と腰が退けてきた。
 さらに橋下徹大阪市長との連携に意欲を見せるみんなの党の渡辺善美代表にいたっては「本音では、民主党内の権力奪取に失敗した、というところが透けて見える。(小沢氏は)賞味期限が迫ってきているということではないか」とボロクソである。あまりの評判さに、ギリギリのところで新党参加を躊躇する議員も出てこよう。
小沢氏は新党結成について同日の記者会見で「まだ言える段階ではない」と言葉を濁した。離党即、新党結成に踏み切れなかったところが今回の離党劇の限界である。
一方、民主党執行部は同日夜の役員会で離党議員への対応を協議、席上、野田佳彦首相は除籍処分とする意向を示した。
当然だ。こちらは本欄で度々指摘しているとおり、小沢切りは政治の安定に欠かせない。
国会会期は9月8日まで大幅に延長された。政権与党であれば、たとえ談合政治と批判されても、自民、公明両党の協力を得て山積する政治課題を処理することだ。解散総選挙で国民に信を問うのはそれからでも遅くはない。

2012.7.2 築地にて

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